ローマ アテネの学堂を見にいくの巻 

Travel Abroad

2021年12月、スペインから帰ってきて約1ヶ月後、ローマに向かいました。ロンドンから飛行機でローマに飛び、電車でフィレンツェに向かい、ピサまで北に抜けて、あの有名な斜塔でも見て帰ってこようという計画です。友達からはその道筋にはオルヴィエートという丘の上に作られた要塞都市があるからぜひ立ち寄ってみたほうが良いというアドバイスをもらっていましたが、ここまで遊びにいっていると私にも休む日数に限度が見えてきて、あえなく断念することにしました。

さて、いまこれを書きながらイタリアのローマの遺跡群とギリシャの遺跡群といったいどっちが素晴らしいだろうと考えています。まあ優劣つける必然性はないのですが、自分にとってどっちが心に響いたのだろうと。私は、ギリシャ文明と古代ローマ文明の比較というよりは、ギリシャ文明と中世のカトリックの比較を頭の中でしているようです。ギリシャ文明と古代ローマ文明は私にとっては陽の世界であり、一緒になっています。私は歴史学者でもないですから、まあ多神教の同じ世界です。ローマはミラノ勅令で313年にキリスト教化されて、私にとっては陰を感じる世界に変わってしまいました。BC800年からの太陽の光と青い海が醸成したギリシャ文明とローマ文明。その遺跡には解放と寛容の雰囲気が残り、心が踊ります。他方、キリスト教化された後のローマは、少し窮屈なものを感じます。

ローマにはこの古代ローマと中世のキリスト教の世界が混在しています。

一番良い例の1つは、ラファエロの「アテネの学堂」です。私がローマで一番見たかったのもこの絵でした。この絵は面白いですよ。ラファエロが描いたのだから、書かれた時期は中世ですけど、絵の中は古代ギリシャの世界です。こういう中世に書かれたもので、舞台が古代ギリシャの絵なんて、世の中にはゴロゴロあるのかもしれないですけど、この絵はとにかく心が躍るんで本物が見たかったのです。ここの中央に描かれている2人、プラトン(左)とアリストテレス(右)がアカデミアのまさに真ん中の道を、何か議論しながらさっそうと歩いてくるんですけど、ラファエロがこの時代に心底あこがれていたじゃないかと思います。

学堂の中には見ての通り、多くの人が描かれているのですけど、光に溢れた建物の中を、風を切るように歩いてくる2人はまさにアカデミアの王道を歩んでいるような感じがします。非常に開放感と躍動を感じる絵だと思います。

私は同時に思うことがもう1つあって、自分の方を素直に振り返ったとき、身の回りの対象に疑問と知的好奇心を持ち続けることにはなぜか自信があって、生涯を通じて、その疑問を解くために学び続けることには自信があるんです。ただ、それを解いている自分の平凡さがいつか嫌になるのではないか、これにはいささかの不安があります。いや、かなり不安があります。これが同時にこの絵にあこがれの気持ちを持たせる理由です。

私は、あと20年、30年学び続けて、おそらく限界に行きつきますが、その時、自分で満足できる程度に答えを得て、少なくとも私の中では、このアテネの学堂を歩いていたいのですが、果たしてどうなることでしょう。

扉は大きく重い。

ところで、この「アテネの学堂」があるのは、サン・ピエトロ寺院の中ですが、ここには絵画だけでなく、ミケランジェロ作のピエタをはじめとして、彫刻も数多く展示されています。

彫刻は絵画と違い、当たり前ですが三次元になっているので、聖書の中の世界、またはギリシャ神話の世界をより「濃厚」に擬似体験できるように意図されたはずです。まあ軽々しく比べると怒られるかもしれませんが、現在でも、アニメーションの世界をフィギアでも鑑賞したい、またはそれをコレクションしたいという人は大勢いるでしょうから、私は割り切ってそう整理することにしています。いやもっと言えば、より多くの感覚器を使って、聖書の世界を疑似体験するために、彫刻があったのだ、という方向性以外に、私は彫刻がなんなのか分かっていないです。

さて、ローマは見所の多い街です。コロッセオがあり、フォロ・ロマーノがあり、トレヴィの泉やスペイン広場もあります。私も例に洩れず、まるでスタンプラリーのようにくまなく歩いて見て回りました。

フォロ・ロマーノは、紀元前6世紀から建設が始まったカエサルの頃を全盛とする都の跡です。これはこれで見所があり、ローマにいけばコロッセオとセットで見ておいて、まずがっかりはしないと思います。私は私で、結構よく歩いて見て回って、それでもやはり自分はギリシャの遺跡群の方に心が踊ることを実感したことで、来た意味がありました。

沢木耕太郎だったと思いますが、ギリシャのスパルタの遺跡はその徹底的に放置されて風化している様がむしろ歴史の移り変わりと残酷さを伝えてくれる一方で、ローマの遺跡は手が行き届いている分、無理に生きながらえすぎてしまっていると表現していました。私も全く同じ事を感じました。

また、フォロ・ロマーノは圧倒的に都市でした。「ここまで栄えた文明ですら、一回役割を終えると歴史の舞台では2回目の登場はないんだな」という感想が自然と浮かび上がってきます。もちろんこのバチカンのようにローマ文明から2000年近くたっても、この同じ地がまだ文明の中心になっていたとも言えますが、ローマ文明とカトリックの総本山という宗旨替えが起こっています。

私が見にいった「アテネの学堂」の絵の中に流れる心地よい空気の流れは、またはフォロ・ロマーノにも感じる寛容さは、サン・ピエトロ寺院の時代には、もうなくなってしまっていているのです。私はもちろん多神教の国の生まれなので、多少の依怙贔屓があるのかもしれませんが。