白壁の街 ギリシャ サントリーニ島の巻(その2:街めぐり編)

ギリシャ

朝、ホテルの従業員がバルコニーを掃除する音で目が覚めました。ドアを開くと昨日見た海が広がっていることに安心し、日曜だったからか、教会の鐘の音が外で鳴っていることに気づきます。教会の鐘が鳴ってこの島の1日が動き出していくようです。今思えば、ロンドンでは教会とシナゴーグとモスクというセム系に囲まれて生きているので、たまには違う雰囲気を吸いたくなって、コロナ明けの最初の旅行でギリシャを選んだ面も少しあったのです。それが、今、カトリックの教会の鐘を聞いてコーヒーを飲んでいるのだから笑ってしまいます。

フィロステファニーのアグナデマホテルから。フィロステファニーはTiraの白壁の街を横に広げたような地区になっています。Tiraからもネア・カメニ島を望む眺望を見ることができますが、この地区の方がやや小高くなっているのでより綺麗に見ることができます。

私は初回はフィロステファニーに泊まっていたので、まずはTiraの街をぶらぶらするために15分ほど歩く必要がありました。Tiraまでは坂道が続きます。ここに来れば途中で多くの猫を見かけるはずです。私たちも例に漏れず多くの猫と出会いました。妻がその後、クレアと名付ける女の子の猫が下の猫です。この子には毎日のように会いました、私はギリシャ語は当然話せませんし、英語も積極的に話すほどはうまくはありませんから、街で一番、無言の会話したのがこの子だったかもしれません。この島にはこの子の他にも、まだまだたくさんの子がいます。非常に人懐こい猫ばかりです。この子たちは暑い日中はどこか日陰に隠れて、朝と夕方あたりから活動的になって道に出てきます。

人がどんなにせわしなく動いていても、この子たちの周りでは同じ時間が流れているのですから不思議なものです。実際、ここの島の猫が最も正しい時計の針を動かしていると思えるほどです。私はここに時間を合わせに来たということでしょう。

クレア。自由に見えて最も正しい時計の針を持つ。
白壁と黒猫
トルコのカッパドキアでも多くの猫に会いましたが、親子であることが多かった。ここの猫は絶景の海をバックに孤高にスタスタと歩いています。
Tiraの街を横から。
サントリーニ島やミコノス島など含む、キュクラデス諸島は肥沃な土地柄ではなく、乾燥もしているので、こういった土地にも根付く、サボテンとブドウとオリーブにばかり出会います。

さて、Tiraの街は中に入るとまるで迷路のようになっています。雑貨屋、お土産屋、洋服を売っている店、宝石店、香辛料のお店、そして数々のBar、Cafe、レストランが白い壁の街の中に犇めき合っています。

何も予定を入れずに街をぶらぶらしてご飯を食べて、またエーゲ海を見て、部屋に戻って、また少し歩いてみての繰り返し。何日も同じような生活をしました。9−10日間ほど、この島にいました。街歩きの他には、カヌーを漕ぎに行ったり、ティラ遺跡に行ったり、サントリーニ島ではポツポツとしかないビーチに行ったりもしましたが、結局この迷路のような街を歩いたり、エーゲ海を見ながらぼうっとしているのが一番心踊ることだったかもしれません。

Tiraに並ぶ数々の店
アギオス・スティリアノス教会 朝の鐘はここから鳴っていたのでしょう。実際、同じ島にいてもここに住んでいる人と旅行者とでは流れている時間は違うのでしょう。ただこの同じ鐘の音で、彼らと同じ1日が始まったには違いないのです。教会が地域的な結びつきを強める役割を担ってきたのは良く分かります。同じ場所に集まり、同じ経典を読み、同じ歌を歌うのですから。そして私たちも1日の始まりだけ、同じ教会の鐘を共有したことで、猫の一まばたきほどの
時間は、1つの屋根の下に入ったことになります。
Tiraからフィロステファニーを抜けて、更に北に行くと白壁の街が途切れて素朴な光景が顔を見せます。

Oiaの街へはTiraからバスが出ています。片道1〜2ユーロで20−30分ほどの道のりです。ここのOIAに雑誌でもよく見かける有名なブルードームがあります。Tiraの街と同様に多くの雑貨屋やレストランやホテルが立ち並びます。雑貨屋の物はTiraで売っているもより若干値段が高く設定されています。

Oiaの街を横から。Tiraの街と似ています。Tiraより店やホテルの間に空間があり、より曲線を感じる街並みになっています。またTiraと違い、太陽が落ちる場所が水平線なので、文字通り太陽が海の中に落ちていくようです。
OIAで泊まったのはOnar Villas。OIAのホテルは、シーズンの7-9月に飛び込むととても手の出ない値段になってしまいます。
もしこれを読んでいる方が、他の雑誌やネット記事で、この島があまりに観光客で混んでいるという事実に尻込みしているようであれば、私はこのようにアドバイスします。私は他の人と肩をぶつけながら沈んでいく夕日を何度も見たわけですが、何十カ国という国の人と声を合わせて沈む太陽にカウントダウンと、そして沈んだ太陽に対して同じ拍手を贈ったことはこの場所以外ではありませんでした。