白壁の街 ギリシャ サントリーニ島の巻(その3:Tira遺跡編)

ギリシャ

Tiraから出ているバスに乗り、ティラ遺跡(Ancient Tira)に向かっています。1時間もかからないうちにティラ遺跡の麓まで着きますが、そのバスの車窓からはTiraやOiaで見ていた華々しい街とは全く違うサントリーニ島の本来の姿を見ることができます。TiraやOiaは着飾られて絶えず踊っているような街ですが、この島にも地元の人がいて、生活をしています、当たり前のことですが。

バスに乗ってTira遺跡の麓まで来ました。見上げるような高所にティラ遺跡があるため、嘆きたくなるほどの坂道が待っています。そして予想されたことですが、麓では坂道を登る乗り合いのバンが観光客を待ち構えています。ここでこの乗合バスに乗ってしまうと、うまく誘導させられているようでどこか面白くない部分もあるのですが、Tira遺跡に入ってからも結構歩くので、ここで体力を温存することにしました。

このジグザクの坂道の上にTira遺跡があります。

このサントリーニ島には紀元前15世紀ごろからミノア人が住んでいたとされています。このTira遺跡から見つかっている彫刻や建造物は、古いもので紀元前8,9世紀、新しいもので7,8世紀のものが残っているようです。

紀元前15世紀、いや紀元前8,9世紀でも、7,8世紀でも、この同じ海をここから見て、その当時の人は何を思い、何に悩んでいたのでしょう。地面に引っ付いて、そしてこのようにお互いに寄り添って生活していた痕跡を見ると、3,500年経っても、そんなに思い悩んでいたことに変わりはないのではないかとも思えてきます。

ふと、シュリーマンの人生に思いを馳せます。一代で財を気づき40歳を過ぎると商人をやめ、ホメロスの叙事詩の内容は現実にあったのだという子供の時の確信を証明するために残りの人生をトロイアの発見に捧げたという劇的な人生。これほど明確なベクトルを持って生きることは難しいとしても、せめて河床に生える藻ではありたいものです、ただただ流される流木ではいけないとは思うものですから。

ところで、このTira遺跡に着いてまず気づくのは、このTira遺跡は気持ち良いほどに放置されていることです。石造りの家も壁も半壊している、またはほとんど崩れているものが多いです。彫刻も消えかかっていて原形が分からないものがほとんどです。

パルテノンやボンペイでは、風や雨の摩擦からその歴史的重要物を守るために本物は博物館に格納され、実際の場所にはレプリカが置いてあることもあります。それに比べるとこのTira遺跡が気持ちの良いくらいに放置されているのは、もはや見事なものです。ギリシャもローマもその栄華の時代が過ぎると、再度時代の覇者として復活するという役は回ってきていないのですけど、その過ぎ去った栄華の成れの果てを見るには、こういった朽ちた建造物の方が心に沁みてくるものです。

ところで、この陽の当たっていない遺跡は古いものでは紀元前8世紀前後ということですから、いわゆるポリスが形成される時期です。従来の中央集権的専制国家が、(史料がないために空白になっている)暗黒時代を抜けると、急に民主主義の土台ができあがっているのですから、知的興奮をくすぐってくるものがあります。暗黒時代、名前はおどろおどろしいですが、まるで魔法の触媒のようです。ここの空白の期間に一体何があったというのでしょう。

このティラ遺跡の時代から西欧の誇る至宝の芽が出はじめたのです。