バルセロナから電車で2時間ほど揺られたところにモンセラートという場所があります。切り立った崖の上に建てられた修道院があると知って訪れてみることにしました。電車を何回か乗り継いで、最終的にはロープウェイに乗ってようやく辿り着くのですが、ロープウェイで目的地に向かう中で、急峻な景色を見ることができます。なかなかの見ものです。
俗世から離れ、人の生活の光も音も届かないところで、孤独の祈りを捧げる。谷を通り抜ける風の音だけが聞こえてくるツンとした風の中に、敬虔な修道士の祈りの姿が想起されます。私にはこういう際立った環境に自分を置いてみたいという修道士の気持ちが分からなくもないです。
私はロンドンに住んでいるので、数でいえば何十という教会の戸をくぐり、聖堂の天井絵画を見て、また修道院の匂いを嗅いできました。
私の場合、教会でも修道院でも「まあ似たような感じだなあ」というのを再確認することになるのですが、それでも1つだけ興味があって、それは「ここで何千、何万回と祈りが捧げられてきたのだろうけど、祈りというのは一体何なのだろう?」ということでした。これだけはいつも頭の隅にありました。
難しいことは考えず、名の知れた教会や修道院はとりあえず見るという感じでぶらぶらと旅行しているわけですが、これだけは唯一のテーマかもしれません。
ここには黒いマリア像というのがあります。珍しいようです。「西暦880年のとある土曜日、羊飼いたちが岩山から強い光が放たれているのを見つけた。その後も土曜日になると繰り返し強い光が見られたため、光をたどってみたところ洞窟の中で聖母子像を見つけた。現在では「黒いマリア像」(Virgen de Montserrat)と呼ばれている聖母子像である。」
モンセラートもその意味では、本当に隔離されており、日本人の私でもなんとなく背筋をピンとさせてくれる場所でありました。